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国家経済としてのコーヒー問題 [歴史]



プロシアのフレデリック大王がコーヒー禁止令を発令しました。
1777年のことです。
別にコーヒーを憎んでいた暴君というわけではありません。
フレデリック大王はむしろコーヒーが大好きだったのです。


プロシア=ドイツは当時植民地を持っていませんでした。
コーヒーの消費の増加は、プロイセンの国際収支の悪化を招きました。
しかも、ビールの生産量も減ってしまい、国家経済の危機に瀕したのです。


そこで大王は、好きなコーヒーに重税をかけ、自らは率先してビールを飲むようにしたのです。
王様ともなると、自分の好みも我慢しなければならないなんて、大変ですね。
王様でなくてよかった。

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しかし、そんなフレデリック大王の健気な努力にもかかわらず、
コーヒーの愛飲者は減らなかったというのです。
可愛そうですね、フレデリック。(大王の呼称は略)

次にフレデリックが採った手は、王室以外でのコーヒーの焙煎を禁止するというものでした。
その結果、社会の上流階級のみがコーヒーを独占するようになり、
王室は莫大な利益を手にしたのです。


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ブラジルの珈琲事始 [歴史]

コーヒーの産地として有名なブラジル
多くの日本人がブラジルに移民し、コーヒー栽培にたずさわった歴史もあります。
それほどブラジルのコーヒー生産は規模が大きいのですが、
コーヒーの起源をたどればイスラム圏にいきつくわけです。
では、歴史のどの段階でブラジルとコーヒーがクロスするのかと疑問を感じませんか?



パルヘッタというポルトガル人がいました。
パヘッタがフランス領のギアナを訪れたとき、新しい飲物であるコーヒーに目をつけたのです。
ギアナからコーヒーを持ち出すことは禁じられていたのですが、
パルヘッタはお偉方のご夫人に取り入り、コーヒーの種と苗木を国外に持ち出したのです。
権力者の周辺に取り入って、法を犯すというか、網の目をくぐりぬけるのは、
今も昔もかわらないようですね。


そしてパルヘッタはその種と苗木を持って、当時ポルトガル領だったアマゾン川河口のパラという町に帰任したのです。
パラで始まった小規模なコーヒー栽培が、やがてブラジル全土に広がっていったのです。
1727年の出来事です。

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密輸で始まったことが、ブラジルの一大産業になっていくのですから、おもしろいものですね。


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凬月堂の喫茶店 [喫茶店・カフェ]




喫茶店というと、その昔は純粋に喫茶店だった。
ドトールコーヒーやスターバックスなどのカフェができてきた。
それと並行するように、パン屋さんでコーヒーを飲めるところも出現した。
そして、スィーツショップがカフェや喫茶室を併設するようになってきた。
神戸で言えば、パン屋だとフロインドリーブ、ドンク、スイーツではモロゾフ、ケーニヒスクローネなどがそうだ。
いや、ドンクの喫茶室はパパねこが生まれる前からあった。ユーハイムにも喫茶室はある。凬月堂だって、歴史ある喫茶室とレストランが元町の本店にはある。
うん、神戸ではパン屋やスイーツ店に喫茶があるというのは、もう随分前からの話なのかも知れない。


それはともかく、凬月堂の喫茶室に行ってきました。
凬月堂、ご存知でしょうか? 
神戸にあっては老舗のスイーツ企業です。
あのゴーフルを作っているところです。
でもどちらかと言えば、“和”系が多いですね。
だからでしょうか、ここの喫茶室はお年を召したご婦人方が多いです。
いつも賑わっています。

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どうですか、このカップ。
なかなか渋いですね。重さも手ごろで、結構しっくりきます。
ここでは、コーヒーを注文すると、ゴーフルがついてきます。
うれしいですね。


店の雰囲気も、和風です。
店内にはクラシックが流れています。
普通の喫茶店とは、また違った趣があります。

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